退任の挨拶(2017/03/31記す。慶應SFC教職員向けメルマガに掲載)
SFCで17年間教鞭をとらせていただきました。じつに爽快な職場でした。ひとえに同僚教職員の皆様方のお蔭であり、心から感謝しております。
在任中、私は僭越にもSFCの運営に五月蝿く「文句を言う」タイプでありましたから(笑)、最後まで問題提起を続けて立ち去ろうと存じます。
昔、日本の大学は通俗的意味で「封建的」でした。教員同士、教員と職員、そして教員と学生の関係も「権威主義的」でした。今日、わがSFCを筆頭に、大学はそうしたメンタリティからかなり脱却しました。大学の核である「知」というものの普遍性に鑑みて、頗るポジティブな進歩です。
ところが今、日本の大学はグローバル資本主義の自由市場に似てきていないでしょうか。利益を生み出すという意味で「役に立つ」物が価値だという世俗の価値観と一線を画して、役に立とうと立つまいと(あるいは有害であっても)真実こそ価値であるとする学府固有の価値観を見失い、研究も教育も商品として捉え、学生を消費者のように遇し、授業を(顧客満足度調査の対象となる)商品のように扱っていないでしょうか。
勿論、それで何が悪いのか、という声も聞こえてきます。しかし、大学が象牙の塔でなくなったのはよいとして、だからといって世俗との質的不連続性を消し去り、境界線を失い、シームレスに繋がれればOKとするのは自己喪失にほかならないでしょう。早い話、それならサッサと看板を降ろし、世俗社会に溶解してしまうほうが潔いわけです。
大学が社会と連携するのは大いに結構なのですが、世俗の価値観に鋭く対立しながらの連携でなければ、そんな連携から(資本主義のダイナミズムである)「創造的破壊」が発生することはありますまい。
堀 茂樹
(初出:『SFC教職員向けNEWSレター パンテオン(メールマガジン)』2017年4月)
« 安倍首相の「加憲」案は失投である。 | トップページ | 「共感」の意味するもの »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント